上京したけど森だった話

~あるICU生のひとりごと~

自転車のルールについて思うこと

こんにちは、お久しぶりです、すっごいお久しぶりです笑

最近はコロナが流行っていますがみなさん体調は大丈夫ですか?うがい手洗いアルコール消毒の三拍子でしっかり防いでいきましょー

ということで最近自転車のルールについて思う節があるので少し書きたいと思います。

 

地元の北海道にいるときは冬は自転車に乗れないのですが東京は雪が降らないため年中自転車に乗れる!と感動しています。そのためか、駐車場代などが高くて、または交通網が発達していてなのか、自転車に乗る人がすごく多いなと感じています(単に人が多いだけ?)。こうも自転車乗車率が高いとわやだな!と日々感じます。

 

私はロード乗りでもあるのでたまにロードバイクに乗ります。こういうときは車道を走るので車の邪魔にならないように細心の注意を払って交通ルールを守るようにしています。ですが東京は道が狭く、歩道がない道が多いです。こういう道ではもちろん左側通行をするのですが、ルールを守れないママチャリが多いこと多いこと…彼らは、(私もママチャリには乗りますが、笑)自分たちを歩行者だと思っていることが多いのではないかと思います。

・車道を逆走

・歩道を爆走

・信号無視(真っ昼間に笑)

・渋滞の車と車の間を無理して通る(決して降りない、、笑)などなどなど・・・

日々自転車に乗りながら、歩きながら、ママチャリってなんて危ないんだ!!と思ってしまいます。もちろんスポーツバイク乗りでも思い切り歩道を走ったり、車道を逆走したりする人を見かけます…

スポーツバイクだけでなく、ママチャリを乗る方も、自分は歩行者ではなく自転車、20kgの塊なんだと自覚しませんか?

・車道は左側通行

・歩道を走るときはゆっくり

・曲がり角は止まる勢いでゆっくり

・歩道のない道の時は車用の信号をしっかり守る などなどなど

みなさんで安全な自転車ライフを送りましょう☆

雪が・・・ない!!

2019年もいよいよ最後の一日ですね。ただいま上京して日々を生き抜いている私も帰省してのんびりしています。私は北海道の出身なのですが、帰ってきて雪がなさ過ぎることに驚いています!!例年この年にはもうそれはそれは雪が積もって公園とか、学校のグラウンドなんて1mくらいは地面が高くなっているのが当たり前なのに、今年は地面がむき出しです。アスファルトがみえみえです。雪なんてなくていいんだよ、自転車乗れないし、JR遅れるし、雪かきめんどくさいし・・・と思っている道民は多いのですが私は雪が大好きです。この年になっても毎年、「わぁ、雪降って来たぁぁぁぁ!!!」と興奮するくらい好きです。東京で雪のない暖かい12月を過ごし年末を微塵も感じることができず、帰省すれば年末モードになるかな、と思っていましたがまったく年末感がありません。地球はやはり温暖化してきてるのでしょうか?このまま北海道でさえも雪が降らないようになっていってしまうとしたら、とても悲しいし切ないなと思います。

そんな中先日スキーに行ってきた話をしたいと思います。

 

札幌でスキー

札幌市は人口200万人を超える政令指定都市にもかかわらず、その大部分が自然に覆われているんです。都会もあって割と何でも手に入る、反面豊かな自然が楽しめる、そんな街です。そして市内や札幌近郊にはスキー場がたくさんあります。ですが今年の圧倒的積雪の少なさの影響も伴って完全にオープンできていないスキー場、というのもあったりで雪のあるスキー場に一極集中してしまっているような部分もあります・・・

 

そんなこんなで今回私が行った「札幌国際スキー場」はたいへんな賑わいを見せていました。このスキー場は札幌市内にありながらロングライドとパウダースノーを提供し、そしてなんと言っても札幌駅発着のバスパック(バス往復と1日券)が安い!ことから人気のスキー場です。私がいつも行くときは春休みだったり普通の土日だったりで混んでいる国際スキー場に行ったことはないのですが、今回は年末と言うことも重なって異常な盛り上がりでした。札駅発のバスに2本乗れず、ついてからチケットをICカードに交換するまでに30分以上、各リフト・ゴンドラに乗るためにも10分は並ぶ・・・乗ったはいいが人が多すぎる、雪が降っていないのに暖かい&人が多いでパウダースノーがもはやアイスバーン・・・

 

あれ、国際ってこんな感じだったっけ・・・?と始終クエスチョンマークでいっぱいでしたがまぁなんとか滑り、毎年食べたいと思っていた国際スキー場名物?カレーラーメンを食し、久しぶりに会った友達といっぱい話すことができてとても楽しい時間でした。肝心のスキーはというと、先シーズン滑っていないせいかなんだか下手になったなぁと感じた次第です笑。これからも練習していきたいですね。

格差ってなんだろう

今日の東京は15℃近く、いやそれ以上?あったようでぽかぽかの一日でした。知り合いと食べ放題に行ったのですが全然頼んだメニューが運ばれず、なんだかぼったくられたかのような気分です。高い社会勉強代でした笑

今日は教育社会学の授業で面白いな、と思うことがあったのでここに記しておきたいと思います。

 

格差はなくならない!?

 

今日の教育社会学の授業では「教育においてなぜ不平等が生じるのか」「教育機会の格差がなくならないのはなぜか」の2点を学びました。

日本では高等教育(大学など)への進学率が上昇しているようですが、教育機会(よりよい教育を受けることのできる機会)の格差はなくなっていないそうです。ここにはいくつかの原因があるそうなのですが1番なるほど!と思ったのは「格差持続仮説」という説でした。この説では、進学率が上昇する→レベルの高い人たち・地位の高い人たちがもっともっと良い教育を求める、ので地位の低い人たちの進学率が上がっても地位の高い人たちに追いつくことが出来ない、という説です。例えば、進学率が上昇してみんな大学に行けるようになったとします。すると地位の高い人たちはよりよい教育を求めて留学をするかもしれませんし、大学院に進むかもしれません。そうすると全員が大学進学できたとしてもそこにまた格差が生まれてしまう、ということです。

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格差は悪いことのなのか

 

そこで私は、「じゃあ、格差って一生なくならないじゃん」と思いました。また、「格差のない世界なんてあるのだろうか、そもそも格差ってあってはいけないのだろうか」とも思いました。格差のない、誰もが平等な世界。そんな世界あるのでしょうか?今の私たちが住む資本主義の世界では頑張って結果を残していく人が成功し、そうでない人は置いて行かれます。不公平、と思うかもしれませんが私は頑張って成功しているのに、頑張っていない人と同じ扱いしかされない世界、というのもまた不公平だと思ったりもします。

そんな私の疑問に対して教授は、「格差があることではなく、格差の作られ方」が問題だと言います。例えば先程の例に挙げたように、全員が大学に行けるようになったとしても、そこで留学に行ったり大学院に進むことが出来る人と出来ない人では格差が出来てしまう、と考えることが出来ます。でもこれは、留学に行くことは良いことだ、大学院に行くことは良いことだ、だから行けない人との間には格差が生まれてしまう、という誰かの勝手な価値観や基準だと捉えることもできます。誰かが勝手にこれは能力の高いことでこれは低いこと、これは生産性があるから良いことで、こっちは生産性が低いから悪いこと、と決めつけてしまうことで生まれる格差というのは非常に偏ったものになってしまいます。格差というのはもともとあるものではなく、誰かのまたは社会の「これは良くてこれは悪い」「これは普通でこれはかわいそう」という基準や価値観によって作り出されてしまうものである、そんなようなことを教授は言いたかったのかな、と思っています。

 

とはいえ、今日、明日の生活さえもままならないような圧倒的貧困と優雅な生活という格差は確実に存在するわけで、悠長に格差とは誰かによって作られる概念だという考えはあまり理解されにくいかもしれません。貧富の差があまりにも大きく、貧困にある人たちが生きていくことさえ危ういような状況はあってはならないものだと思います。ですが最低限の生活を全ての人が持てるようになったとき、「格差」というのはどこまで縮めるべきなのでしょうか。貧困だからと言ってその人たちが何ももっていないわけではありません。経済的な格差を縮めることは容易ではないでしょうし、資本主義社会において難しいことです。ですが経済格差は決して人間としての格差であってはいけないはずです。「格差」(という枠組み)を作り出しているのはいつも「上」にいる人らしいのでこの「上」の人たちが、一人一人の持てる力、既に持っている力を見つけ、高めていくことができたら「格差」は縮まったり、なくなっていくかもしれませんね。

冬学期のはじまり

ここICUのある三鷹の森でも木々が色づき、「秋だなぁ」と日々感じる道産子ですが、「秋じゃなくて冬だよ!」とよく言われます。北海道の秋はだいたい7~17℃くらい?だと個人的に感じているので3,4℃をを下回ってこないと冬だと感じられない部分があります。なのでまだ暖かい冬服を着込むことも出来ず、毎日着る服がないな~と困る日々を過ごしています。

 

そんな中3学期制のICUでは12月から冬学期が始まりました。今日は今学期私が履修している授業がどんなものかを紹介したいと思います。

 

冬のELA

まずはELA。私はStream3なので1年間と1学期ELAがあります。

 

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1学期分はResearch Writingといってテーマを決めて短い論文を書き上げるもので通常のELAとは少し異なる性格を持っているので、一般にELAというと1年生の1年間で履修するもののことを指します。そんなELAも今学期で最後!辛かった2学期間を思い出し、今学期もまたELAに悩まされるのかな、との思いがこみ上げてきますがこれで最後だ!と思うと不思議と頑張れそうな気がしています。そんなELAの冬学期のテーマは [Bioethics]。AIや医療などといった科学技術が日々発展していく中で忘れてはいけないのが ethics(倫理)や moral(モラル、道徳的規範)について考えることです。例えば車を運転しているときに子どもがいきなり飛び出してきたら、私たちは止まろうとするかハンドルをきって方向を変えようとするでしょう。ですがもし方向を変えた先におじいちゃんが歩いていたとしたら、そのおじいちゃんを負傷させてしまうことになります。子どもとおじいちゃんなら子どもを守るべきだという人もいるでしょう。AIももしかしたらそう判断するかもしれません。でも誰一人として命の価値を比較して天秤にかけることは出来ないはずです。そうなったとき、自動運転技術はどのような判断を下していくべきでしょうか?

科学技術がどんどん発展していく現代で「文系」は終わった学問だとか、無意味であるなどの批判を受けることがしばしばありますが、そんな世の中だからこそ「文系」的思考、哲学的思考で科学や医療技術などの在り方を考えていくことが重要なのではないか、といったことを考えさせてくれる今学期のELAです。

 

教育社会学

他にもいくつかの授業を履修しているのですが、強いて一つ面白いと感じている授業を挙げるとすると教育社会学です。この授業はICUの中で200番台に位置づけられています。100番台はFoundationといって基礎的な内容になっています。200番台と300番台は Area Majorに分類されていて、100番台よりも専門的で難しい内容を扱うことが多いです。今回私が履修している教育社会学ですが200番台と言うこともあってやはり一年生の私には難しい!まず日本語の教科書なのに(私にとっては)難しい言葉や概念が多く出てきて理解するのに時間がかかってしまいます。次に授業ですが教授が、「授業中に発言をしないと参加したとみなさない!」というスタンスなので質問をしたり自分の意見を発することが必須となってきます。私は常にどうして?とかこれはどういう意味なの?と思って授業を受けてはいるのですが、たまに何も感じないときがあったりもします。また、これ気になる!と思っても50~60人ほどいる教室で手を挙げて発言するということはかなり難易度が高いです笑。ですが私にとって内容が本当にアカデミックで難しいので質問せざるを得ません。今日も頑張ってわからないところはわからないと、質問してきたいと思っています。

そんな教育社会学、大きな命題は「(学校)教育は社会階層を再生産するのか否か」ということだそうです。私たちを取り巻く環境、家庭、学校などといったものは今の児童や生徒、学生が親の社会階層を越えていく足がかりになるのか、親と同じ階層を歩むのか、それとも親より低い階層に移動するのか。そしてこれらのことには様々な要因が絡んでいるそうで、これからの授業を通して学んでいくので、どんなことを学んだかまたここでお伝えしていきたいと思っています。

恵まれているということ、そしてその責任

こんにちは、10月も今日で最後、明日からは11月ですね。今年もあと2ヶ月しかないと思うともっと時間を大切にしないといけないな、とは感じますが出来ていません。そういえば今日はハロウィンですが、渋谷は盛り上がっているのでしょうか?近隣のお店でアルコール類を提供しないなどの条例が出来て、あれだけ毎年混沌としていたものをなんとか押さえることが出来るってすごいな、と感じます。まあ私は行きませんけどね笑

 

今日は最近私の頭の中をぐるぐるしている、「恵まれているということ」について書いていきたいと思います。

 

「あなたたちは恵まれています」

最近授業の中でTA(Teaching Assistant 学生助手)の方が言っていた言葉。何の脈絡からそこに行き着いたのか、よく分からなかったのですが、ICUで勉強しているという皮肉、といった感じの話でした。

まず、ICU第二次世界大戦前・戦時中、中島飛行機という航空機メーカーが飛行機の設計などを行っていた跡地に建てられた大学です。その時研究所として使われていた建物が今は本館として学生がメインで授業を受ける場となっています。

TAの方は、「あなたたちが今勉強している、ここ(本館)では、あなたたちと同じくらいの歳の若者を乗せ、玉砕するための飛行機が作られていた」「あなたたちが今こうやって勉強できていることはとても恵まれていることです」と話していました。そして林修さんの「勉強は贅沢、嫌ならやめなさい」という言葉を引用して話を終えました。

私はこの一連の話に違和感を持ってしまったのです。確かに私はとても恵まれていると思います。このTAの方の話にあったように私は戦争に行く必要がありません。私は私のやりたいことをすることが出来ますし、教育を受ける権利というものを持って、勉強をすることが出来ます。それに小・中・高、そして今のところ大学まで特に大きな問題もなく進んでくることが出来ました。その都度親が授業料や学校に関わるお金を出してくれています。特に大学は高い授業料を払ってもらっているので感謝していますし、本当に恵まれているなと感じます。

ですが私は「あなたたちは恵まれている」という言葉に昔からアレルギーがあるのです。私の父がいつも私にこの言葉をかけていました。「お前らは本当に恵まれてるよ、周り見てみろよ」「俺の時なんてな、家族のみんなはな、こんなに大変な思いをしてきているんだ、それなのにお前はそんなことで悩んで、そんなことして、」私は小さいときからこう言われて育ってきました。

父の幼少期や祖母のことなど、いろいろな話を聞きました。近所の人や私の友達にも家庭や経済的問題で苦労している人がいました。だから自分が恵まれているということは痛いほど分かるんです。私自身ものすごくお金持ちというわけではないけれど、恵まれていると思うし、だからこそものすごく無駄遣いをしたりすることなく少しでも節約したり、物を長く使ったり、たくさん勉強したり部活したり、与えられたものを精一杯こなしてきました。

そんなところに久しぶりの「あなたたちは恵まれている」砲をくらいました。確かに、戦前に生まれ戦争に行かなければならなくなった人や経済状況が厳しくて学校に通えない人から比べると私のようにのうのうと大学に通っている人はとても恵まれているかもしれません。

でも裏を返すと私だって恵まれたところに「生まれてしまった」身でもあると思いませんか?「お前はいいよな、恵まれていて」という父の言葉、「あなたたちは恵まれています」というTAの言葉、私にはどうしても違和感しか感じません。

なぜ人間は贅沢をしてはいけないのでしょうか?なぜ恵まれていてはいけないのでしょうか?私はここに生まれてしまって、私は私のこの人生をたどっていくだけです。将来私だって「恵まれない」環境に陥るかもしれません。でも私はそれで恵まれている人を僻んだり、「あなたたちは恵まれているということを忘れるな」と言いたくありません。

「恵まれている」という人たちにはその人たちの人生があると思います。悩んだり苦しくなったり、勉強嫌だなって思ったりすることだってあると思います。人の悩みや苦しみ、嫌悪などの大小は比べるものではないと思っています。「恵まれていない」人の方が苦しんでいるんだから、彼らはやりたくても出来ないのだから、あなたは文句を言ったり惰性的に生きてはいけない。本当にそうなのでしょうか?

 

重度心身障がい

上記の授業とは別に私が今履修している授業に特別支援教育論というものがあります。上記の授業で恵まれている、の話を聞いたとき私は上で書いたようなことを思いましたし今も思っています。でも特別支援教育論で重度心身障がいというものを知ってこの思いがより複雑になりました。重度心身障がいというのは、簡単に言うと知的障と運動障がいを併せ持った障がいのことです。私がその日映像で見た方は筋肉が動かず、ベッドに寝たきり、気管支切開で話すことが出来ない、意思疎通は微笑みと時々出る声のようなもの、といった方でした。

私はこの授業を受けて「生きるって何だろう」「恵まれているって何だろう」とまた考えさせられました。歩くことも、話すことも、おいしいものを食べることも、大声で笑うことも、勉強をすることもで出来ない、そんな人がいるということを知って、あ、私ってやっぱり恵まれているんだ、と思いました。

 

アメリカの公立学校

またまた違う授業では、授業内で「Waiting for Superman (スーパーマンを待ちながら)」(2010)というドキュメンタリー映画を見ました。アメリカの公立学校では教師が不足、財源が不足、増えていく生徒etc.と様々な問題があり、経済的に苦しい家庭や少数派の家庭は学校に通うことが難しい、通っていても学力の格差などが生まれてしまうといった内容でした。

そんな映画の中で経済的に恵まれず勉強が出来ない子どもを集めて底上げを図るという目的のチャータースクールという公立学校が取り上げられていました。ですがその学校には抽選でしか入学することが出来ません。どんなに強い意志を持っていても抽選というものに勝てるわけではありませんので取り上げられていた子どもたちも抽選に外れてしまいます。学校にすら、公立校にすら通うことが出来ないのか、私はある種の絶望を覚え、そして彼らの恵まれなさを嘆きました。

そもそも「恵まれている」とは何か

このように「恵まれている」と言われることに違和感のある私でも自分が「恵まれいているんだ」と心から感じることはあります。ですが、何を基準に私たちは恵まれているとかいないとかを決めるのでしょうか。収入?学歴?五体の満足さ?親がいること?生きていること?どの要因が恵まれているということを決めるのか、またその要因の中でもどの水準から恵まれているということになるのかは人によって、社会によって、文化によって変わってくるはずです。

「あなたたちは恵まれているんだから」と人は言います。「私は恵まれているんだ」と私は思います。でもこれってとても個人的すぎる感覚だと思うんです。このときに人々や私が恵まれていないと思った人でもその人自身は自分のことを恵まれていると思っていることだってあると思うんです。

私もお金は少しあるかもしれないけれど、だからと言って恵まれていると一言で片づけられたくはありません。短期で変わり者の父に幾度となく理不尽な理由やそんなことで?ということで怒鳴られ、殴られ、叩かれ、蹴られることが当たり前、という家庭で育ちました。いつも父の顔色を見て、今でも、少しでも大事な話をする際には何日もかけて計画し、顔色を窺い実行の時を鑑みます。気を損ねないためです。

逆に、アメリカのチャータースクールに落ちた子どもたちは人生が終わったわけではありませんし、新たな道が見つかった時には、それで良かったと思うかもしれません。

人には人の価値観、ものの見方、感じ方、生き方があって、だからこそ私は「恵まれている」といわれることが嫌なんです。

重度心身障がいの方の話の部分でも、何も出来なくてかわいそうと感じることも出来れば、彼には彼の世界があって、感じ方があって、楽しい・面白いと思うことがあると考えることも出来るはずです。彼は私たちと同じことができないからかわいそうで恵まれていないんだ、と考えるのはあまりに浅はかだと思うんです。だれも誰かを恵まれているとかいないとか、かわいそうとか決めることって出来ないと思いませんか?

 

「恵まれている」人の責任

では仮に社会や人々が私を「恵まれている人」としたとしましょう。あなたは恵まれているんだから。では私はこの恵まれている、を持って何をしたらいいのでしょうか?社会貢献?人助け?恵まれない人たちの支援?私はこの考えだって利己的だと思うんです。多分人のためにならない仕事なんてこの世にありません。将来社会人になってどこかで働く限り必ずそれは誰かのためになるはずです。これは例え自分の好きなことを仕事にしたとしてもです。だとしたら私は「恵まれている人」として特別に何かをしないといけないのでしょうか?

もちろん社会イノベーションを起こして「恵まれない」といわれる人に対して特別なアプローチをすることだって出来ます。「恵まれていない」という理由で排除されてしまう世の中は良くありません。でも「恵まれている人」だけでなく「恵まれていない人」がこういったことをしたっていいと思うんです。これはみんなが持つべき意識であって、誰かが私は恵まれて育ってきてしまったからしなければいけないという責任を持つべきものではないと思うんです。

先程も言ったように、全ての仕事は誰かのためになるはずです。自分のために自分の人生を生きてもそれが誰かの役に立つことだってあると思うんです。

だから誰かに対して「あなたは恵まれているんだから」頑張らないといけないと言う人に私は違和感を持ってしまいます。

 

 

 

やらないといけないのに、できない、課題

こんにちは。東京の朝晩もだんだん冷え込んできて秋も深まってきましたね。私の通っている大学、ICUの本館の前にはいちょうの木が植えられています。きれいに紅葉したいちょうの葉は見てみたいですが落ちて踏まれている銀杏がとてつもない異臭を放っています…

 

さて、今日は Procrastinator について話していきたいと思います。

 

Procrastinator とは?

やらなければいけないことがたくさんあるのに、明日が締切りなのに、テストなのに、分かってるのにやる気が起きない、できない、そんな時ってありませんか?私はそんな時しかないのですが…このように何でも先延ばしにしてしまう人のことを Procrastinato [プロクラスティネイター] と呼びます。先延ばし魔、ですね。


Inside the mind of a master procrastinator | Tim Urban

この TED Talk では Procrastinator の頭の中がどんなふうになっているのか説明してくれています。課題?一週間前には出し終わるけど、?という人、課題提出遅れるとか理解できないわ、という人は是非見てみてください!笑

 

Procrastinator と ICU の秋

以前の記事でもお話ししましたが ICU にはELA という英語学習のシステムがあります。このプログラム、細々細々陰湿に課題を出し続けてくるんです笑。

 

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ELA 以外、つまり普通の教科の授業も次までにこれを呼んで感想を書いてくること、とかレポート書いてくること、とか、何かにつけて課題祭りです。

そんなたくさんの課題が日々細々細々だされるICUは Procrastinator の私にとっては割と地獄のようなところでもあります。

こまごまと出てくるので、「まあ、あとでスケジュール帳に書けばいいか、これくらいなら」という先延ばし魔の思想が結果として課題そのものを忘れるという致命傷に繋がります笑。

また課題を把握していても、あと2週間あるから大丈夫、1週間、4日・・・とぼんやりしているといつのまにか提出期限が今週のレポートが3つも!!なんてこと私はよくやってしまいます。

 

Google カレンダーを使ってみる

そんな私は今まで絶対に紙のスケジュール帳派の人間でした。書いた方が忘れなさそうだったので。でも最近紙のスケジュール帳って開かないし、書いて満足しちゃうな、ということに気づいたんです!笑

そこで私はGoogle カレンダーを使い始めてみました。確かに打ち込むのはちょっとかったるいなああと思いますが、その時間にしなければならないことをリマインドしてくれたり、月・週・日などの単位でスケジュールを確認できるのでとても便利です♪

これでなんとか先延ばし魔と戦っていけたらな、なんて思ってます。

先伸ばしちゃうんだよ~(T-T)、覚えてられないんだよ~(T-T)、という方は是非文明の力借りちゃいましょう!

ICUでの英語学習~ELA~

ICUと聞くと「国際系の大学」と想像される方が多いと思います。確かに国際系なのかもしれませんが、国際系と言っても広すぎてよくわかんないよ!と思われる方もまた多いと思います。今日はそんなICUの英語学習の部分に焦点を当てて見てみましょう~

 

 

ELA

English for Liberal  Arts

これはICUに入学した1年生が直面する最初で最大の危機、と言っても過言ではない(笑)ICU独自の英語プログラムです。

 

Stream と Section

ELAには4つのStream [ストリーム] と呼ばれるレベルが存在します。

おおざっぱな目安で言うと、

Stream1[すといち]→帰国子女・ICU高校からの上がりが多い 1学期間のみ

Stream2 [すとに]→ 帰国子女・ICU高校からの上がり・インターナショナルスクールに通っていた人たち・高校でものすごく英語が出来た純ジャパ etc 2学期間

Stream3 [すとさん] → 高校でまあ普通に英語を勉強してきた人・高校では割と上位にいた人・英語は話せるけど文法が出来ない人・純ジャパが多い etc. 3学期間(1年)

Stream4 → 英語が苦手・英語は話せるけど文法が出来ない・英語?って人 ・受験終わって遊びすぎて英語忘れた人etc. 3学期間(1年)

Stream ごとに授業回数や期間が違いますがどのセクションに入っても、自分に合ったレベルの(?)授業を受けることが出来ます。というのも入学式の何日か前に TOEFL iTPというテストを受けさせられレベル分けが為されるのです(コロナ禍のここ2年間はテストがなく、エッセイの提出=>必要に応じて面接となっているみたいです)。レベルのボーダーラインにいる人にはエッセイの提出とインタビューがあります。すと3だったー…4なんだけど…などと落ち込むことはありませんよ!意外とやっていくと私・俺、ここで良かったなって思えてきます(笑)

(私はすと3で最初かなり落ち込みましたけどね笑、最初だけです)

 

そしてそのStream の中に Section [セクション]と呼ばれるクラスが存在します。このSectionは20人前後(私のクラスは17人)の学生で構成されています。かなり少人数です。Stream 3・4は一週間の授業数が多く、また1年間必修なので仲良くなるクラスが多いです。もちろん仲良くならないクラスもありますが。

 

ELAの内容

ELAの最大の目的は英語で教科を学ぶことです。

ICUの授業は日本語で開講されているものと英語で開講されているものの両方があります。そして英語で開講されている授業の単位を取り集めることが卒業に必要な要件となってきます。英語で授業を学ぶことが出来るようになるためにELAではその準備をします。

つまりどういうことかというと、とにかく読みます。高校では読んでこなかったような長文、しかも中身も学術的です。春・秋・冬の3学期でそれぞれ違ったテーマが割り振られておりそのテーマに沿ったリーディングをしていきます。そして授業ではその内容についてメインアイディアをみんなで話し合ったりとディスカッションをします。もちろん英語で、です。なので読んでこないと授業に参加できないのです。とにかく読む読む読む・・・その都度細々課題なんかが出されたりします。何が課題だったか、よく忘れます(笑)

 

ELAの中は

ARW(Academic Reading & Writing)とにかくたくさん読んでいく

RCA (Reading & Content Analysis) 精読。各学期1つか2つをじっくり読む

AS (Academic Skills)      リスニングやプレゼンテーションを練習

ATS (Academic Tools & Strategies)正直いらない・・・

RW (Research Writing)     2年生で行うELAの集大成、文献を読み、自分で調査(アンケートなどをとって)を行い、その結果や考察を書く、という論文作成の授業です

の4つに分かれています。これらの内容やコマ数はStreamによって違います。

 

ICU生のリアル!?

ELAはとにかく課題が多いです。でっかい課題が毎日あるわけではないのですが、こまごまとしたものが毎日何かしら出ます。ARWはこれをやらなきゃ、RCAは明日までにこれ提出しなきゃ、などとELAの中でも授業が別なのでそれだけ課題もあります。

春学期のうちはみんな真面目にやりますが、秋学期以降要領を得てくると上手い具合に手を抜く人が多いです笑。基本は真面目で、課題やってきた?という会話が常に飛び交ってるんですけどね。っていうか課題の話しかしてないんじゃないか、日々。

 

勝手に質問コーナー

Q: 3学期制なの?

A: はい!春学期(4~6月)・秋学期(9~11月)・冬学期(12~3月)の3学期制です。夏休みがものすごく長く、旅行に行ったりみんないろいろしてます。秋には2週間弱の秋休みもあります。この時期って飛行機が安かったりで旅行時なんです!

 

Q: 純ジャパって何?

A: 純ジャパニーズの略。日本で生まれ育ち、日本語母語話者の両親の元でインターナショナルスクールなどに通わず、留学経験もなく育った人。私は自虐的な意味で、私に本出たことなくて~留学すごいね~みたいなニュアンスで使うのですが、この言葉は賛否両論あります。純ジャパニーズ、という言葉を海外経験がない人、海外との繋がりがなかった人、という意味ではなく、人種的な日本人という意味でとらえている人もいるからです。その方たちからすると、純って何?「日本人らしい」見た目で日本人の家系に生まれた人しか日本人じゃないの?なんて議論になったりもします。そんなことも、大学生になったら深く学んで考える機会がたくさんありますよ

 

ELAについてもっと知りたい方はぜひ、こちらの記事もご一読ください!

hanamaru5.hatenablog.com