上京したけど森だった話

~あるICU生のひとりごと~

批判すること~批判的思考を考える

全国で緊急事態宣言が解除されましたが、未だにクラスターが発生したりと、コロナが全国で猛威を振るっていますね。そんな中、私は今日1ヶ月半ぶりくらいにきれてしまったインクを買うために家電量販店へ行きました。そこまで混んでいたわけではありませんでしたが、世の中にはこんなに人がいたのだなと、久しぶりに見る「人」に驚きでした。いくらマスクをしていても、下火になってきていても、怖いものは怖いです。

そんな中、今日は#政権批判と誹謗中傷は違います というハッシュタグTwitterでトレンド入りしていたので、「批判」ということについて考えてみました。

 

辞書的な意味

まず、批判やそれに似ている言葉の意味を辞書で見てみましょう

批判 1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。(デジタル大辞泉

非難 人の欠点や過失などを取り上げて責めること。(デジタル大辞泉

批評 物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。(デジタル大辞泉

誹謗中傷 根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること。(デジタル大辞泉

 

批判的思考

辞書的な意味を参照しましたが、いったん置いておいてここでは批判的思考について考えてみます。

批判的思考(Critical Thinking: クリティカル・シンキング)とは、簡単に言うと、「当たり前を、前提を、そもそもを、疑うこと」だと、私は考えています。

よく、批判的思考と論理的思考、などいわれどっちがどっち!?と混乱してしまうことも多いかと思いますが、論理的思考があって、その後に批判的思考が来ると考えています。

例えば、私の好きなハリーポッターを例にしてみると、

⑴ヴォルデモートは人を殺した

⑵ヴォルデモートは人を傷つけた

⑶ヴォルデモートは人種差別者だった、

以上3つの理由よりヴォルデモートは悪である

ここでは、⑴⑵⑶でなぜヴォルデモートが悪であるのか、ということが論理的に示されています。これが論理的思考です。

そしてここで、「そもそも、人を殺すのは悪いことなのか?」「人を傷つけるって悪いことなの?ハリーポッターだってヴォルデモート側を傷つけているよね」「多様性っていうけど、人種主義者の言い分を聞いてあげることも一つの多様性なんじゃないの?」といったように、筋道立てられているとされている命題や論拠に対して、いわば屁理屈のように立ち向かっていく態度、それが批判的思考です。

 

私が通っているICUでは、この批判的思考、クリティカルシンキングということがさんざんに強調されます。ICUのホームページでは

「『批判的』といっても、それは他人の考えではなく自分の考えの土台や常識を批判的に見直すこと。」ーなぜ、ICUは議論好きなのか? ICUホームページより

と、批判的思考を用いて自分の当たり前を疑う重要性について主張しています。私自身他人の考えにクリティカルシンキングを使うことが多いので、自分の考えも見直さなければと、ハッとさせられます。

 

今の日本と批判的思考

ここまで批判的思考がどのようなものか、ということをさらっと見てきましたが、批判的思考による批判は誹謗中傷や非難とは全く別物であるということが一目瞭然だと思います。

非難は人の欠点を責めること、誹謗中傷は論拠のない悪口で人を傷つけること。

批判には論拠に基づいた思考は欠かせません。その点で誹謗中傷とは違いますし、批判的思考は人を傷つけはしません。そして辞書的な意味にもあるように、ただ責めるだけではないのです。批判をするということは、よりよい方向に向かうための策を考えることもセットで行われるべきです。また、ICUの引用からも分かるように、他人を批判的に見直そうとするだけではなく、自分の考えや常識も見直す必要があるのです。

例えば、政府の対応としてマスクはいらなかった!!という議論があったときに、そうだそうだ!政府は機能してない、まともじゃない、早くやめろ、などというだけでは批判にはなりません。それは非難、行き過ぎると誹謗中傷にもなりかねません。ここで必要はのは、私はマスクいらなかった!ではなく、そもそもどうして私はマスクをいらないと思うのかと問いかけることです。でも本当にこのマスクは意味が無かったのだろうか?という問いかけだったり、じゃあ政府はマスクに対してはどのような措置を取るべきだったのだろうか、市場の原理に任せっぱなしだった場合どのくらい上手くいったのか、政府がマスク製造ラインをストップさせて買い上げて配布する(台湾方式)ことはできなかったのだろか。

このように政府のマスクはいらなかった、というたった13文字の文章でも、そうだよね、確かに、と鵜呑みにするのではなく、考えること、自分の考え・当たり前を疑うこと、それが本当の批判、または批判的思考だと私は感じています。

 

と、長々書きましたがここに書いてあることは学も人としても未熟な大学生によって書かれています。みなさんも、いやいや、そこは違うだろう、これって本当にそうなの?といった視点で読んでみてください。